求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

トライ・アンド・エラー・アンド・トライ(1) 株式会社資生堂  魚谷雅彦氏

海外の投資家を訪れて人生哲学を語る一方、社内では22階の社長室から階段を下り、社員ひとり一人と対話を重ねる。革新的な社内改革の根底には、丁寧なコミュニケーションが潜んでいる。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)

魚谷さんの階段ツアー

曄道 人生哲学を問われる場面、私にも経験があります。海外の大学に連携の交渉に行くと、今まさにおっしゃった場面に遭遇するんですよ。最初の質問が、例えば今起きているこの問題について、あの歴史とどう関連づけて日本から見ているのかといったような。単なる世間話じゃないんですね。やっぱり私のものの見方とか、あるいは、哲学とか、価値観とかを相手が問うていることは明らかです。

魚谷 なるほど。そうした問いに答えられるリーダーを僕らは欲しいですよ、これから。本当に。だから、インターンシップという形で、学生さんも会社のことを見極めたり、我々も人材を見極めたりしていくんです。限られた機会ですけど、その中で見たいと思っているのは、何かの点数がいいとかということよりはそういうことです。内定者、あるいは内定する前、何かのときでも実は僕、結構自分で対話するんです。
 昨年、百数十名を前に、今日は皆さん、社長の話を聞きに来たんじゃない。僕がみんなを知りたいので、インタラクティブにやりましょうと。質問ある人、意見のある人、資生堂のこんなところがおかしいんじゃないのと疑問に思うことがあったら、どんどん遠慮なく言っていいよと話しまして。それこそワイシャツの袖もロールアップするよう言ってね。
 結局その日は終了予定時間を超えてしまいました。どんどんみんなが意見や質問を出してくるから。僕も刺激を受けて楽しいんです。
 そういうときの若い人たちの様子を見ていると、真剣に考えていることがわかる。発言内容が若干的外れになってても、僕は構わないと思うんです。学生だから、まだ会社のことなんか知らないんですからね。でも素朴にやっぱり思うことを言わなきゃ。でも、なかなか手が挙がらないときもある。そういう時は、「アメリカ行ったらさ、みんな手を挙げてから発言内容を考えるんだよ」と言って促すことにしている。そういうと、そうなのかと素朴に受け止めて手を挙げてくる人は、のびしろを感じますね。

― 最後に、魚谷さんご自身のお話をお聞かせください。よく「トライ・アンド・エラー・アンド・トライ」とおっしゃっていますね。あれは、どこから生まれた教訓なんでしょうか。

魚谷 簡単です。社員との対話はすごく大事なので、多分これまでにのべ8万人ぐらいを相手に話してきました。社長になってすぐ、この会社、どこをどう変えたらいいのかということを考える合宿を神奈川県葉山にある当社の研修センターで行いました。僕らが真ん中に座って、社員200人から質問形式でやりました。
 そのときに研究開発系の若い女性の社員から、研究開発はいろんなことに挑戦して失敗することも大いにあり得ます。けれども、失敗しちゃ駄目だという組織の風土がありますというんです。もちろん、商品の品質で大きな失敗すると困るんですけど、そういう気風があるから、トライ・アンド・エラーと言われても、とてもやりにくいんですと正直に言ってくれたんです。だから「そう、それが問題だよね」と返しました。エラーしていいよ。その代わり、もう一回トライしてほしいと。もう一回トライするためのエラーだったら大いにいいと言ったんです。トライ・アンド・エラー・アンド・トライだよねと。その場ですぐに出た言葉だったんです。

― 冒頭に申し上げた「魚谷さんの階段ツアー」は、そのことと関係がありますか。魚谷さんの思いをみんなに伝えるためだったのでしょうか。

魚谷 そもそも起源は2013年12月24日。社長交代会見があったんです。その日の午後7時と9時のニュースで放映されたんです。次の日の朝、ふと考え、社員も含めて、僕のことをみんな知らないわけですよね。社員が家でご飯食べながら、「お父さんの会社の社長、今度替わるんだってね」と言っていたわけでしょう、社員の家族が。社員は「この人知らない」とか「私、会ったこともない」「えっ、誰、その人」ってやりとりになっているはずでしょう。ということは、私自身が社員のところに自己紹介に行くしかないと思って、階段で社内全部を回ったんです。階段ツアーは、そこから始まったんです。各フロアに挨拶して回った。

― 何か得るものがあったのでしょうか。

魚谷 得るものは、簡単な話、まず僕を知ってもらえたということですね。僕が得るものというか、同時に皆さんがそういう情報を得られたというのか。僕のほうは必死でしたから、とにかくたくさんのところへ早く行って顔見せなきゃと。社長は、新聞にも大きく出たりしているけど、実はこういう人ですって。自分の会社の社長は誰か、どんな人なのかもわからないというのはおかしいじゃないですか。それがツアーの一番の目的でした。

― これまでで最大の挑戦って何ですか。

魚谷 最大のチャレンジですか。困ったことですか。

― はい。チャレンジして、結果的に困ったことでもいいし、こんなことやって大丈夫だろうかというのをやっちゃったみたいな話でも。

魚谷 いっぱいあります。その連続ですから。例えば企業を買収するなんていうのもチャレンジです。自分たちの分析で、いくらでも戦略は立てられる。この会社は、こういうところがいい、うちは持ってないから買収すべきだとか。ただ、最後は胆力で決めなきゃならない。去年、米国の会社を買収しました。取締役会では、「こういう時代ですから、リスクはないんですか」と議論になりますよね。最後は、私を信じてくださいとしか言えないです。怖いですよ、それは。そのためにその会社に急遽会いに行って、自分なりの確信は得たんですけど。僕は物事を決めるのが仕事なので、決めるというのは左に行くか右に行くか。中庸のグレーはないので、黒白はやっぱり決めなきゃならない、選択しなきゃならない。買収も、働き方の制度を変えるというのもそうですね。

― 挑戦に伴う苦境というのを、ご自分でどういうふうに乗り越えるというふうに決めているとかありますか。

魚谷 こうしたら乗り越えられるというソリューション、解がいつもあるわけではないです。みんなによく言っているんです。僕も実は悩んでいるんですと。それはもう正直なところ常に頭がかち割れるほど、考え、考え、考えています。ゴルフで打つ瞬間だけ忘れるんです。でも、歩き始めたらもう、そっちのことを考えていますけどね。

― 学生時代から考え込む方だったのでしょうか。

魚谷 割とそうでしたかね。いろんなことやるのが好きだったですから。

― 困難に当たったとき、転んだとき、ご自分でどうやってご自分を立て直されているんですか。

魚谷 僕は、よくしゃべるんです。だから、人にすごく話します。今までの自分のキャリアとか見てきても、会社で嫌なことあったりとか、困ったときとか、妻に結構話すんです。
 例えば僕が最初の会社を辞めるときのことです。留学までさせていただいて、帰国して、俺はこの会社を世界の会社にするとかと、30歳で燃えてたんです。それで部長がどんなこと言っても、正しいことはこうじゃないですかとやり合っていたんです。5年いて企画部門に異動になり、商品開発の提案書を書くようになると、だんだんとこんなことを言うと部長ににらまれるかなとか、本部長はこう言うだろうからと考えるようになっていた。ある日、当時は社宅にいたんですが、夜、「まずいよな」とか「そうだよな」とか、僕が独り言を言っているのを横で妻が聞いていました。何だかサラリーマンになっているねと。留学から帰ってきたときとは、えらい違っていると言われ、思い切って最初の会社を辞めたんです。

― 生活がかかっているにあっさりと決めてしまったのですね。

魚谷 結構その言葉がグサッときました。
 資生堂の社長になるときも、青天の霹靂でした。まさか140年の会社に、外部から社長来るなんて驚きでしょうし、大変なことだと分かっているし。
 そこで僕の信頼するメンター、元IBMの社長だった方に、相談したんです。そしたら、この方が明快で。「魚ちゃん」といつも呼ぶんです。魚ちゃん、資生堂は日本を代表する会社で、でもちょっと苦しんでるんだよと。当時、そういう状況だったんですよ。「でも、資生堂が元気になるということは日本が元気になるということだ。君はさ、日本のためにやろうと思わないのか」と言われた。こんなこと言われたら、僕だって、やりますよとなったんです。こういう会話の中って、結構自分を見つめるいい機会になるのかな。本当にありがたいことに、小学校のときからずっといろんな先生とか、そういう関わりを持ってくれる人の影響を物すごく受けています。

― 次の求道者をご紹介いただけますか。

魚谷 次の求道者ですか。日本のゴディバの社長しているフランス人、ジェローム・シュシャンさん。日本で暮らして27年、奥さまも日本人で、弓道7段なんです。僕らより日本の文化を理解している男なんです。本も出していて、僕は高円宮妃殿下のパーティーで知り合いました。
 弓道は、アーチェリーと違うというのが彼の主張なんですね。アーチェリーというのは器具がいっぱいついていて、どこからでも、どんな形でもいいから、とにかく的に当てればいいらしいんです。ところが、日本の弓道というのは、1本の竹から匠が作った弓、自然ですよね。型が決まっている。立つときの型もある。こう構え射て、その後も型どおりに戻るんだそうですね。全ての所作が古来から決まっている。それをフランス人がやっているんです。その魅力を彼は熱く語ってくれる。
 社内のグローバル・カンファレンスに来ていただき、話してもらったことがあります。いかに日本文化の精神性がすばらしいかと。企業経営にもやっぱりすごく生きる内容でした。要は、的を当てることを、実は目標にしていないんです。正しい型をちゃんとやって、精神も伴えば結果的に的に当たるというのが弓道なんだそうです。

曄道 ぜひ伺いたいお話です。

魚谷 結構、逆のほうから日本を見詰めるという意味で、面白い話をしていただけるんじゃないかなと思います。

― 最後に、これからご自身の道どう歩んでいきたいですか。

魚谷 これからの道ですか。道は神様が決めるものですから、自分では分からないです。キャリアの話も、これまででもよく、魚谷さんは企業に入って留学をして、自分のキャリアを、コカ・コーラで社長してとかって、順調に歩んで、キャリアデザインどおりやっていますねと言う人がいて、僕、とんでもないと言うんです。偶然起こってきたものを、その場その場でやっていったら結果的にこうなっているだけですということなので、道は自然に開けると思っています。

曄道 ありがとうございます。美しく締めてくださいました。

【ひとこと】 求道者は、自らの信念で道を選んで歩くのかと思っていたら、意外にも神様が道を決めるのだという。だからこそ歩む足には力がこもり、真剣さをまとうのかもしれない。神様が決めた道でも、起伏があり、失敗もする。それでもやっぱりまた挑戦。トライ・アンド・エラー・アンド・トライ。失敗は何度でも。そして何度でも立ち上がる。どこか心躍らせて。それこそが求道者の力なのだろう。(曄)