求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

トライ・アンド・エラー・アンド・トライ(1) 株式会社資生堂  魚谷雅彦氏

コロナ禍でも改革に向けた歩みを止めない。資生堂は2021年からジョブグレード制への移行を始める。仕事の内容を明確にし、適材を充てるのだ。当然、社内の空気、社会との向き合い方も変わってくる。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)

コロナ禍でも改革断行

魚谷 僕は、例えば就活のときの就活ルック禁止だと言ったんですよ。

曄道 いいですね。大歓迎です。

魚谷 ええ、個性が見えないですから。当社に来る方、やっぱり多少なりともファッションにも興味のある方が必要なので。そう言い出すと、最初に人事が、「えっ、そんなことを!」と言うんですよね。画一的な人を求めちゃいけないって、自分たちでも言ってるのに。
 学生は当社に面接に来てから、他社にもまだ行くことになります。そこに就活ルックじゃないと駄目なので、着替えられないと困るという人もいました。大分定着はしてきたんですけれど、また最近、揺り戻しがあるように思います。それでも、女性で真っ白な、すごく格好いいスーツの姿で来た人もいましたね。やっぱり個性が際立つというかね。
 こういう面でも、企業に対する、就職に対する大学の感覚と、企業が求めているものとのギャップはありますね。企業にも悪いところがあるんです。

― 2021年から御社で始まるジョブグレード制について、説明していただけないでしょうか。会社によってジョブ型のイメージが違うようです。魚谷さんが考えてらっしゃるジョブ型というのは、仕事の内容を明確にし、その仕事に必要なスキルや能力を持っている人が当たる、という意味でのジョブ型と理解してもいいでしょうか。

魚谷 ええ。私の申し上げているジョブグレード制をひとことで定義すると、「究極の適材適所」です。

― 「究極の適材適所」ですか。誰が「適材」「適所」を判断するのでしょうか。

魚谷 それはもちろん我々とか、上層部です。もちろん1人ではありません。判断するためには何らかの基準が必要です。それが「ジョブディスクリプション」(職務記述書)というもので、このポジションは何を目的にしているのか、どんな責任を負うのか、どんなスキルが必要なのか、できればこういう経験を持っている人のほうがいいなどと書いたものがあって、これを基にどの人がいいのかを考える。評価にしても、その人がどういう仕事ができているのかを、1人ではなくて複数の目で検討するようにしているんです。カリブレーション(基準合わせ)といって。そういうことがスタートです。
 ジョブグレード制になると、「成果主義に移るんだ、日本の企業は」という印象がありますが、より成果をマキシマイズするために、やるわけです、振り落とすためにやっているわけではなくて。人間ですから、みんな自分がやりがい、働きがいを感じられたほうがいいに決まっています。やりたいことをやったほうがいいに決まっているし、なおかつ自らの成長を実感できる仕事をしたほうが、成果を出せる確率は高くなるわけです。こんな仕事は嫌なんだけど、会社が言うから仕方ないやというよりもよほど健全だ。ジョブグレード制の最大のポイントは「適材適所」で、会社も(人を)選ぶけれども、本人もやっぱり(仕事を)選ぶ。
 会社と個人の関係が今までってこう(片手を上に、もう片方の手を下にして)ですよね、日本型の社会、日本企業は。それがこうなる(両手が同じ高さにある)。企業と個人の関係の、もう一つの仕組みなんですよ。

― つまり、会社と個人の関係が対等になるということですね。

魚谷 そうです、僕は対等だと思います。学生さん、上智の優秀な学生さんのところに行って、資生堂へ来てくださいと言ったとしても、いや、私はA社に行きますからという学生もいるわけですよ。B社に行きますから、外資系のほうがやりがい感じますからとかね。これは僕らは選ばれてないということですよ。何かの課題はあるということなんですよね。お互いに選ぶ立場にあるわけですから。
 僕はいつも、学生さんの集まりに行くたびに言っています。「人生においての大事な一つ目の会社―もしかしたら二つ目があるか三つ目があるか分かりませんけど―極めて重要です、原体験は。だから資生堂に来てくださいとお願いするために今日、来たわけではありません。やっぱり皆さんは広い選択肢の中から真剣に選んでください」。そう繰り返しています。もし資生堂と縁があるんであれば、私たちはこういう人材育成のプラットフォームの会社でありたいと思っていますよという話もします。

曄道 そういう仕事の様態になったときに、恐らく今、社長がおっしゃったように、会社の評価や見方もあるけれど、(自分と仕事との)マッチングのための能力を本人が持たないといけないですよね。

魚谷 そうです。

曄道 そういう視点から見ると、今までのご経験でもいいですし、お考えになっていることでも結構ですが、大学の教育の中でお気づきになっていることはないでしょうか。私は今の大学教育に欠けているものが相当あるのではないかという気がするんです。何かご意見をお持ちでしょうか。

魚谷 実は私は持論がございまして。

曄道 はい、どうぞ、お願いします。

魚谷 僕は同志社大学卒業です。同志社大学の学長懇談会のメンバーだったことが4年間ぐらいありました。企業にいる大学出身者のメンバーが集まって、年に2回、学長、総長も来られて、自由に懇談するんです。その時にみんなして結構言うんですよ。
 例えば、昔は正月にラグビーで、国立競技場で同志社を応援できたのに、最近はできない、とどうなっているんだというふうに不満を鳴らす先輩がいましたね。もっと高校からいい選手を選抜して入れて、ラグビーで復権してほしいと注文する。そしたらその当時の学長が、「私もそうしたいんですけど、教授会というのがあって、なぜラグビー部だけなのか、他の部はどうなのかという意見があって、なかなか決められないんですよ」と割と本音でおっしゃっていた。だったら我々OBが応援しますよと言ったんです。
 そのとき、上智もそうだと思いますが、卒業生の半数以上は、企業に就職しているんですよね。もちろん、同志社同様、聖職や教職に就かれる方もある。4年間で、リベラルアーツだとか、そういう教養的な勉強をすることは大事です、アカデミアの部分は大事です。けれども同時に、過半数が企業に入るということは、よき企業人になるための心構えとか、企業とはどんなものなのかとかということをもっと体験する場もあってもいいんじゃないでしょうかと、ずっと言っていたんです。
 方法論は簡単です。OB・OGをフル活用してくださいと。みんな手弁当で行きますから、OB・OGは。成功体験も失敗体験もみんないっぱい持っているので、そういうものを次の若い世代の人たちに共有できないかという思いも、ものすごく持っているのです。
 そんなこと言っていたら、じゃ、あなたが来てくださいと言われて、4年間ぐらいキャリア教育の授業へ行っていたんです。

曄道 そうですか。それは嬉しいお話です。どんな話をなさったのでしょうか。

魚谷 授業は1時間半でしょう。学生は200人ぐらいいたんですね。誰も寝ていないというのが分かるんですよ、ぱっと見て。ご担当の教授が「僕のときは寝ている人ばかりなんですけどね」と笑っていましたね。
 僕は、商品開発はどういうふうにしているのか、どんな視点で人を見なきゃならないのか、広告をつくるときには何を考えなきゃならないのかなど、人間学みたいな話をしました。学生はそうした話を非常に興味関心を持って聞いているわけですね。終わったら50人ぐらい並ぶんですよ、「名刺ください」と言って。もちろん、就職のこともあるんでしょうけどね。
 そんな中で、学生から連絡がありました。2回目ぐらいのときでしたか。私たちもやっぱりぼうっと学生生活を送っていたら駄目だと思いましたと。学生は東京まで会いに来て、今度サークルつくります、もっと若い世代が世の中を知り、どうやったら社会の役に立てるのかということを議論する場をつくりますから、魚谷さん、講演に来てくれませんかと頼みにきたんです。僕はそれこそ手弁当で行きました。1,000人ぐらい集まっていましたね。語りかけると、そんなことをやってくれる学生が出てきたりするんですよね。
 実社会といずれは関わらなきゃならないんであれば、少しでもそういう機会を学生に提供したい。行き過ぎるといけないという面はもちろんあると思いますが。
 いつだったか、講演会があって、同志社大学OBも1,000人か2,000人ぐらい来ている場で、話をしたことがありました。そこでも学生に実社会を学んでもらう機会を設けなければいけない、と壇上に立って話したんです。質疑応答になったら、OBの大先輩方から、企業というのは偽装工作をしたり、品質を歪めたりする体質がある、そういうようなことをする人間をつくれと言うのかと言う人がいましてね。

曄道 それはどんな方が……。

魚谷 OBの古い方、先輩です。それに対して僕は、すみません、そういう人間をつくらないためにも、学生のときからよき社会人、よき企業人になるにはどうすればいいのかを学ぶ機会をつくるべきだと申し上げているんです。

― 先ほどからたびたび話に出てきている「よき企業人」とは、どういう人でしょうか。

魚谷 企業の究極の目的とは、利益を上げて、株主に還元することではないのです。資生堂でいえば、2019年に作り直した企業理念でいえば、「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD」。つまり、「BETTER WORLD」とは、環境と社会に本当に貢献できることをする会社だと言っているのです。
 今の時代は、売上や利益を上げて、いわゆる経済価値だけ伸ばします、我々はエコノミックアニマルです、なんて言ったら、誰もお客さんはその企業の商品を買ってくれないし、社員も来ないですね。特に今の学生さんは、その辺りにとてもセンシティブですから、サステナビリティへの取り組みとか、社会価値をどうつくるかといったことに敏感です。だから、経済価値と同時にこのソーシャルなバリュー、社会価値を融合し、こういう商品を作って世の中に提供している。それがどれだけ世の中のために役に立っているのか、あるいは社会的な問題を解決するソリューションを提供しているのか、あるいは環境問題に対応した事業の在り方を展開しているのかということが求められている。昔でいえば「三方よし」みたいな話ですが、日本では時代が変わっても、やはり企業に求められていることだと思いますね。

曄道 そうですね。今、社長がおっしゃった、企業人という言葉があまりにも狭義なんですよね。狭い。それこそ日本のあしき慣行と言えるでしょうが。
 企業人、昔の言葉で企業戦士、その企業のためだけに尽くす人というイメージが強い。だから、学生たちの大半は企業で働くことになるから、企業人となるためにどういう教育が必要でしょうということを大学で展開しようとすると、いや、うちは産業予備校じゃないだろう、といった話になりがちなんです。

魚谷 そうですよね。僕が先ほど申し上げたようにね。

曄道 大きな社会構造があって、その中に産業というものがどういう位置づけで存在していて、経済社会を牽引しているのかといった社会観自体が、学生だけではなくて、実は教育機関の側にも十分でないと思っています。自覚がないというか、その認識がないというか。
 やっぱり社会に出ていくための人材育成のあり方を考えたときに、大学の手に負えない部分というのは確実にあるわけですよ。そもそも大学の教員というのは基本的には産業界での経験がない、あったとしても乏しい人たちが多いわけです。そういう大学だからこそ、社長がおっしゃるように、産業界との協働ももっと広げていくべきだと考えています。大学側も、大きな社会構造やその変わりようを深く理解して、これからどんな知的な活動が必要かということを考え直さないといけない。特にこれから世界が勝手につながっていく時代の中で、ますます日本は鎖国政策的な教育に陥ってしまうのではないかという危機感を抱いています。

魚谷 全く同感ですね。さすがにアメリカの大手企業でさえ、キャピタリズムの申し子みたいな企業、株主への価値を高めたらCEOは何十億円かの報酬をもらうとかといった風潮への反省がこのコロナの前から起こり始めています。1年ほど前、ビジネス・ラウンドテーブルという大手企業の集まりで、全てがステークホルダーだと、株主だけじゃないんだというふうに書き換えました。これが大きな転機になってきていると思うんです。
 日本でも原丈人さんが「公益資本主義」を提唱している。知っている方なので、講演をしてもらったこともあるんです。企業が単独で社会を形成しているわけでは絶対ない。企業は公器ですから、やっぱり。公益、パブリックインタレストという概念、目指す姿としてちゃんとあって、そのためにお金もうけすることは何ら悪いことではないと。それが還元し、社会をよくするわけですから。そういう考え方を、僕らも会社もしっかりと持つべきだし、幸いにも、そういうことを理解する社員が増えてくれる。
 そのためには学生のときからそういった考え方も持っていてほしい。僕は同志社卒業生なので、新島襄の宣伝して申し訳ないんですけど、江戸時代、鎖国のときにアメリカに自ら行ったことを新島先生が書いている。碑が同志社キャンパスにあるんですが、こう書かれている。「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来らん事と」と。
 「良心」という言葉、新島襄が好きだった言葉みたいなんですね。僕は、企業人というのはまさにそれだと思うんですよ。やっぱり良心。もちろん企業ですから経営していかなきゃならない、エコノミックな要素はあるんです。それは何のためにやっているのかというのが、やっぱりどこかに明快に社会の価値といいますか、そういうことをどれだけリンクさせていけるのかが問われる。
 社員はみんな見ていますよ、特に今という時代。僕が、例えば社員に、今月の売上の数字や利益が足りないから、何も言わずに、とにかくガンガン売ってこいって言ったら、あしたから社員は来なくなります、誰も。でも、昔は違ったかもしれません。
 企業経営者も、ものすごく今は自分の在り方、言動、考え方、判断が問われる。我々のようなメーカーでは、残念ながら品質の問題が起きるときがあります。これを世の中に伝えて商品を回収したら大きな損害になる、人体に影響あるようなものでもないし。今後作る商品だけ改良していけばいいかなと思える要素もあった。でも、そのとき、最後に決めるのは経営者の良心です。いやいや、今使っているお客様に何らかのご不便をおかけしている、ご不快な思いをさせているんだったら、それは正直に社会に言って、新聞に回収をしますといおうと。そのことで会社があした潰れるわけでも何でもないし、長い目で見ると、社会との信頼感をつくっていく重要な意思決定だったんだと思い返しています。こういう、インテグリティ(誠実さ)が経営者にも求められる時代になっていますし、そういうことが会社の価値観を形成していく、社員もそれに共鳴する人が資生堂を選んでくれるようになると思っています。

【ひとこと】 「三方よし」は「求道者」シリーズのトップバッター、経済同友会の前代表幹事、小林喜光さんの発言にもあった。企業は会社の儲けだけを考えていれば成り立つという時代は、遠くなりつつあると実感する。その変化を私たち大学人は、きちんと捉えているだろうか。(曄)