求道者たち

vol.01

 道はあるか。どこにあるか ー理念を追い求め、社会が、国が進むべき道を模索し続ける人たちがいる。時に周囲から厳しく批判され頓挫しながらも、常に高くアンテナを張り、書を片手に実世界に学ぶ姿勢は、現代の求道者とたたえても過言ではないだろう。

「敗北の時代」を乗り越える(1) 経済同友会前代表幹事 小林喜光氏

シリーズのトップバッターは、経済同友会前代表幹事の小林喜光氏。財界の論客としての鋭いコメントは度々、波紋を広げてきた。令和時代を目前に物議を醸した発言も、その一つ。いわく「平成は敗北の時代だった」と。では、敗北とはどういう意味か、負けたのは誰か。
モデレーター 松本美奈(上智大学特任教授)

こばやし・よしみつ

三菱ケミカルホールディングス会長、経済同友会前代表幹事。
1946年 山梨生まれ
1964年〜学生時代
・愛読書「日本人とユダヤ人」(山本七平) 生きる意味は?神とは?日本人とは? あえて「明確な答えの出る」理系を選択(18歳)
東京大学大学院理学系研究科修了。ヘブライ大学留学。
1974年〜会社生活 ・三菱化成(現三菱ケミカル)に中途入社(28歳) ・上司に直訴し、あえて傍流の記憶材料事業部門へ(37歳) ・三菱ケミカルホールディングス社長就任(60歳) 構造改革に着手。直後に事故、不祥事続発。三菱レイヨン買収など大胆なM&A戦略を展開。
おすすめの書「サピエンス全史」「ホモ・デウス」(いずれもユヴァル・ノア・ハラリ)

「外」から自分を見る自分の反対側に行け

― 先週末は経済同友会の「リーダーシッププログラム」に参加されていたとか。

小林 3日間のプログラムです。もう16回かな、小林陽太郎さん(故人。経済同友会終身幹事。富士ゼロックス元取締役会長)が、「経営者を教育しなきゃいかん」と、会員約1500人で次の社長候補の教育を目的に始めた。
 結構、評判いいんですよ。「目からうろこ」だと。しゃべる人は大企業の会長や相談役が多い。ニトリのおじさんみたいな、おもしろい人も来ますよ。

曄道 企業のトップたち方が「目からうろこ」と言うのは、どんな内容でしょうか。どういうところに一番食いつくのでしょうか。

小林 時事問題とか一般的なビジネス論より、人生哲学ですね、やっぱり。
 僕は47、8年前、イスラエルに行った。ちょうど東京大学の安田講堂が燃えたときで、僕より4年下には入試がなかった。そういう大騒ぎの時代でした。僕はそういうのにほとんど関心なかった。差し入れに行ったりはしたけれど、自分自身が白ヘルや赤ヘルかぶってゲバ棒持つ気は全くなくて。
 実存主義の時代だった。存在とは何か、自分とは何かしら、というのを知りたかった。1両の電車の中で単に200個の心臓が動いていると思うことは、あまりにむなしい…。そんな時にシナイ砂漠に行き、何もない風景を前にして初めてわかった。「ない」ところに立たされると「ある」ということがわかるんだと。だから人生哲学のような話は、ああ、そうなのかと胸に落ちるようなものがありますね。

曄道 その言葉はとても心強いです。高校生に話をするたびに、「学生のうちに『自分の反対側』に行きなさい」ということを強く言っている。まさに今のお話の「ない」ところに行くと「ある」ことがわかる。食べ物がない所に行けば、食べ物があることの意味がわかる。シャワーが出ない、出る、言葉が通じない、通じるも含めて。地球のサイズ感、グローバル社会と我々が呼んでいるものは一体何だということが、なかなか今の若い人たちには実感としてつかめない。

小林 やっぱり、外からでないと見えない、自分自身は。

平成は敗北の時代

― 俯瞰ということですね。離れるから、見えるのでしょうか、令和を目前に「平成は敗北の時代」と発言して物議を醸しました。真意をお聞かせください。

小林 敗北、挫折といってもいい。数値から見ると明らかだよね。GDPもほとんど上がっていないし。450兆円から550兆円にはなったけれども、アメリカは2倍、中国に至っては5倍、10倍じゃないですか。企業の時価総額ランキングを見ても明らかでしょう。平成元年には、世界の上位10社のうち7社を日本企業が占めていたが、今や最高位はトヨタ自動車の40位程度。
 敗北というのは、相対的なものということもできる。だが看過できないこともある。日本人、とりわけ若者が約80%も現状に満足している*というのでしょ。これは問題ですよ。
*内閣府が現在の生活にどの程度満足しているか聞いたところ、「満足」と回答した人が全体の74.7%を占めた。男性の18~29歳、女性の18~29歳、30歳代で高かった。一方、「不満」と回答した人は男性の50歳代、60歳代で、それぞれ高くなっていた(2018年8月、国民生活に関する世論調査)。

18〜29歳の8割以上が現状に「満足」と回答した(国民生活に関する世論調査)

― 不景気の中で生まれ育った若者が現状に満足するのは、仕方がないような気もしますが。

小林 年寄りも含め、国民全体が、財政やエネルギーで後世に大きな負債を押し付けておいて、なぜ現状に満足できるのか。
 そりゃ、心地いいでしょう、自分の中に閉じこもって、何もしないで、世界を見なければ。だがそれは、井の中の蛙、しかも茹でガエルになっていると言わざるを得ない。

曄道 私も敗北、失敗という言葉を強く意識しています。私は理工学部の人間で、高度経済成長の時代には、日本は世界に誇るべき工学教育をやっているという自負が確かにあったと思っています。経済成長を支え、技術の面でも大いに貢献をした。貢献できる人材を輩出したという意味では、工学教育は成功しているという実感を、当時は国全体が持っていたと思うんです。
 一方で、今という時代を迎えてみると、あれで本当によかったんだろうか、実は失敗だったのではないかという疑念を、現場として持たざるを得ない。その辺、どうお考えですか。

小林 1950年、戦後5年後、日本は戦争に突き進んだあの大本営的というか、みんな同じ方向に行くという、効率のいいものづくりの時代を迎えた。いかにコストを安くして作るか。あまり考えないで物をつくる、というところで大成功をおさめた訳です。
 実際、1960年代、僕らの大学時代にも成功していたんですよ。日本がちょうど登り坂を駆け上がっていく頃で、物づくりの基本である半導体の理論での量子力学とか、物性物理とか、化学工学が隆盛を誇っていた。要するに全て、物づくりに直結した。いかに効率よく、均一なものを品質よくつくるかが求められていた。そして1970年代には、エズラ・ヴォーゲル(アメリカの社会学者)が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出し、日本は世界の注目を集める国になったのです。
 アメリカは「日本に学べ」とか言いながら、彼らが見つけたのはそうではない、バーチャルな世界だった。インターネットという世界を構築し、全体ではなくて個の、それぞれの人が優秀でないと勝てない時代をつくった。そしてGAFA(グーグル、アマゾン、フェースブック、アップル)が世界を席巻した。中国もこの10年で、あっという間にBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)やJD.comのようなeコマース(ネットショッピング)を展開した。
 「モノづくりから、コトづくり」というか、バーチャルな世界への転換が急激に行われているのに、日本は成功体験があまりに強くて、いまだに「日本はモノづくりが強い」なんて、ばかなこと言っている。もう、モノづくりの時代は終わった。僕に言わせれば、敗北なんですよ。

政治家も経営者も教育者も懺悔を

― 敗北したのは誰でしょうか。

小林 時代に対しての感性がなかった日本全体の敗北です。政治家であろうが、経営者であろうが、教育者であろうが、みんな懺悔すべきだと思うな。

― 曄道先生、反論はありますか。懺悔を求められていますが。

曄道 いや。戦後に大きな成長を遂げて、我々は高い技術力を急速に持ち、海外から非常に注目された。我々が打って出て行かなくても、世界中を駆けずり回らなくても、日本の技術というものに求心力がある時代を迎えたのです。
 そう考えていくと、結局、我々はこの国から出なかったということになります。日本という国の中でずっと失敗と成功を繰り返してきた。前の敗戦のころも含めて。今直面しているグローバルな感性の重要性に、我々大学人も含め、社会全体の気づきが遅れたと思いますね。

小林 そう、グローバル化とAI、IT化と、SNS化という、この3つのドラスティックな変化に対して鈍感だった。多様性に背を向け、女性の活躍も含め、相変わらず、社会の基本は「背広」ばかりという……。

― いいですね。そこはもっとおっしゃってください。背広ばかりが威張りちらす、異様な国。

小林 いやもう、びっくりするから。冒頭のリーダーシッププログラム、毎年、女性が2、3人来るのに、今年は男ばかり、女性はゼロだもの。社長候補が男ばかりというのは、やっぱり異様だよね。ほかの国では、ガンガン活躍している女性が増えているというのに。
 日本はのんきなんでしょうね。今日、あるパーティーで小池百合子・東京都知事と会ったら、「茹でガエル」の話を読んだらしく、「よくぞ書いてくれた。みんな、わかっていないよね。いまだに日本がトップを走っていると思っている。あれをもっとガンガン言わないと」と言われた。知らない人たちからもレターが来ている。日本はこんなにひどいことになっていたと初めて知ったって。

― 教育・研究に関する数値も伸びていない。

小林 明らかに日本は伸びていないよね。研究開発費用、論文の数、論文引用回数でも。かつては2位か3位だったものが、今、完全に5位から10位。うっかりすると、生産性に至っては、韓国にも中国にも負けて、30位なんてデータもある。日本はそういうことに対して鈍感過ぎるんじゃないかな。曄道先生の言われた、グローバルな感性を持っていないから、超ドメスティックで。中でグチグチ言うだけ。日本人というのは「妬(ねた)み嫉(そね)みの文化」だから、日本全体がよくならなかった。足を引っ張って、相手がよくならないようにしたがる。これじゃあ、もう話にならないわけですよ。

― 生きている蛙ならば、熱くなる前に逃げ出すはずですよね。

小林 いやいや、ゆっくり温めたら逃げ出さないよ。で、気がついたらこんなになってる。温め方のスピードが違う。だから僕は、蛇を入れなくちゃ、あいつらは逃げないと言っているわけよ。

― なるほど。誰が蛇になるのですか。誰がカエルに危機感を持たせられますか。

小林 本来は経営者本人が蛇であるべきなのに、経営者も茹でがえっちゃっている。
 やっぱり、外敵ですよ、1つは。ハゲタカと言われているアクティビストとか、ディストレストファンドとかお金があるやつ、明日にでも釜揚げにして儲けようという連中がアメリカには一杯いるわけじゃないですか。これ、ある意味で蛇なんだよ。
 自分の会社が全然儲からなくても平気な顔して、何となく「社会のために」「人のために」「従業員のために」と言いわけをしているボケた経営者がいるわけですよ。自分が4年から6年、社長の時代に何も起こらないように過ごせればいい。地銀なんかの頭取に多いんだよ、はっきり言って。メーカーにもいますよ。
 そういうのに気づかせるために、2015年にコーポレート・ガバナンスコード*ができた。スチュワードシップ・コードも併せ、企業は基本的には儲けて、なおかつ、地球環境の問題も含め社会のためになり、教育に対しても関与する。新しいイノベーション、テクノロジーを創出するという、そういう社会全体を見た存在でなくてはならない。
 もう一つ僕らが期待したいのは、若者、ミレニアム世代の連中がもっとファーストペンギン化してほしいということです。先頭切って自分から海へ早く飛び込むリスクを採れるやつをどう育てるかだと思うな。
 この2つしかないと思いますよ。
*コーポレート・ガバナンスコード 上場企業に対して、幅広いステークホルダー(株主、従業員、顧客、取引先、地域社会等)と共働しつつ、収益力の改善を図ることを求める行動原則。2015年6月に適用開始。その前年、2014年にはスチュワードシップ・コード(機関投資家に対して、企業との対話を行い、投資先企業の持続的成長を促すことを求める行動原則)を策定。

― 外からはハゲタカとも呼ばれるアクティビスト。中からはファーストペンギンとして大海に飛び込めるミレニアル世代の台頭。それが危機感を持たせてくれると。飛び込むでしょうかね、シャチに食われたくないでしょうから。

小林 でも、リスクに賭けないと。リスクに賭けるやつが少な過ぎるんだ、日本は。

【ひとこと】 企業、大学と立ち位置が違い、言葉も異なるが、両者の思いに隔たりはないように見えた。何よりも共通するのは危機感だ。平成は敗北の時代だった、経営者は怠慢だった、工学教育は失敗だった…。ファーストペンギンの台頭に期待する企業人と、理想の教育を追う大学人の対話はどこまで続くか。次回のテーマは、茹でガエルがどう「よみガエル」か。(奈)